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短歌と感想ほかまとめ

短文のこと

短歌からイメージして短文を書く、という試みを、X(旧Twitter)でやってみました。
元はというと、昨さんとのいちごつみにある2首からお話を思いついて書いてみたこと(下記01)がきっかけです。
詳細は省きますが、わたしは元々お話を書いている人間なので、こうした短文を書くこと自体、比較的慣れています。短歌を鑑賞する・感想を書くのとはまた別の方法で、短歌にふれあえるのが面白く、いろいろな方の短歌を元に短文を書いてみたいと考えました。
毎度のことながら、TLの皆さんはわたしが急にごそごそ何かやり始めても、基本的にあたたかく受け入れてくださるので、感謝しかありません……。本当にいつもありがとうございます。
以下、わたしが書いた短文をすべてまとめています。また、イメージの元になっている皆さんの短歌についても引用させていただきました。
※もし何か問題などございましたら個別にご連絡いただければ幸いです



01 昨さん



同期の結婚報告を聞くのは今年に入ってもう数回目で、もうそろそろご祝儀今度も同じだけ包むのかって考えて億劫になるのを悪いだなんて思えなくなった。
当たり前みたいにうわあって思う。少し声にも出す。生活は生活。社会性は社会性。
一応まだ我を忘れてはいないので、会社の人の前ではそんなのおくびにも出さないけど。
わたしの中にもしネジがあったとしたら、多分そのうち何本かは元からなかったし、かろうじてまあまあ機能していた分だって、今はもうほとんど錆びてしまってるんだろうな、なんて思う。
取り留めのない妄想。今やんなくてもいい仕事、返さなくたって死にやしないメール、片付けなくたって誰も困んない分厚い資料。定時までの暇つぶし。
違うか。
暇つぶし、してるのは、定時までじゃなくって。
やっすいチェーンの居酒屋でだらだら飲んで彼氏ほしいでも付き合いたくないそういう身分がほしいとか言ってる間がいちばん楽しかった。
わかるわかる、ってケラケラ笑ってくれてたの、あれは流石に本気だったって思ってもいい?

今さっきうだつの上がんない君が『確変です』って一抜けていた/昨さん
ゴールするときは一緒の約束でさっきまでなら好きだったのに/しま


02 鷹野しずかさん




余計なことはひとつも言わなかったし、最後までちゃんとご機嫌だった。見送りができる本当にぎりぎりのところまで一緒に行けたし、あの子がいろんなひとの背に隠れて見えなくなるまで手を振っていられた。
あの子といるときのわたしがわたしのなかだと多分いちばんくらいに好き。
他の行き先がどこの搭乗口からか、なんてひとつも覚えられないのに、あの子が使うところだけはしっかり分かってる。到着ロビーのどの位置にいたら向こうから見つけやすいかも、ちゃんと。到着、ロビーは、またしばらく来ないけど。でもわたしにとっては大事な情報だ。忘れたくない。忘れるはずもない。
空港にあるエスカレーターは何度乗っても目的の階には着かないような気がして、急いでいるときにはそれが恐ろしくてたまらないけど、なるだけ長く留まっていたい場合にはうってつけだと思う。エスカレーターを上ったり下ったり、だだっ広いフロアを行ったり来たり。
そのうちあるお菓子屋さんの売り場が目に留まった。ああこれ、あまくておいしいんだよな。何もここで買わなくたっていいんだけど。多分デパートにもあるし、でもあそこいつ行っても鬼のように混んでるんだ。となるとここで買うのがいいのか。
とか言ったって食べるのはどうせ自分だし、いちばんにあげたい子ってもういない。これ買って持たせればよかったな。今度のときはそうしよう、なんて、会う前から別れるときのことを考えるの、本当はそんなに好きじゃない。
それなのに、頭のなかは今考えなくたっていいことでいっぱいで、ずっと言葉が、感情が、かたちにならないまま、ぐるぐる渦を巻いている。まっすぐ帰ればいいのにしばらく空港のなかをうろうろしているのだって、結局は。
またね、って、わたしは言うけどあの子は言ったり言わなかったりで、ばいばい、のときもあれば、じゃあね、のときもある。あんまりそのあたり、こだわってないんだと思う。
ぜんぜん大したことじゃないのはわかってる。気にするようなことじゃないって。会いたいひとには会いたいって言えばいいし、実際に会いに行けばいい。
別れ際には必ずまたねって言うことをおまじないみたいにしなくたって、自分の足で時間でお金で会いに行けるって、そうできるように生きてるんだって、わたしはちゃんと知っている。
それでもやっぱりあの子と別れるときにはまたねって言うんだ。今日だって、この後何度あるのかわからないけど、この先だってきっとそう。またね。また。

見送りを上手に済ませばかでかい空港に慰められている/鷹野しずかさん
note.com


03 独活部さん




今から外出れる、って、せめてもうちょい前に言ってよと思う。家に帰ってきて制服から部屋着に着替えて、今のわたしはもうだるだるの格好だ。
古ぼけた団地の、これまた古ぼけた公園までは、歩いて数十秒。幼馴染は先に着いていて、いつもするようにブランコを漕いでいた。わたしはブランコには乗らず、ブランコの手前にある柵に軽く寄りかかる。
相手が何も言わないから、わたしも何も言わない。この子がこうやっていきなりわたしを呼び出して、そのくせ何も言わないでただ黙っているときは大抵、ものすごく怒っているときだ。怒っている、けど、言葉を探せないでいるとき。自分でも自分の感情のやり場を見失って、どうにもならないとき。
それで、多分、これはこの子に直接聞いたんでもないからわたしの当てずっぽうなんだけど。
「泣いてないよ」
「……うん」
「怒っては……いたけど。でもこっちから振ったし」
「ん、」
「最後に一発お見舞いもしといたし」
「うん」
「だから、へーき、なんだよ」
この子がこんな風にめちゃくちゃに怒ってくれるのは、大体がわたしのため、なんだ。
いつのまにかブランコは止まっていて、幼馴染はわたしのすぐそばに立っていた。くたびれた部屋着のうすっぺらい生地を、幼馴染の細い指先が掴む。
「帰ろっか」
されるがままに従って公園を出た。どこからかあまいような泣きたくなるようなにおいがして、もうそんな時期か、なんて思う。沈丁花
ちょっとだけ前を歩く幼馴染の背中に額をくっつけた。なに、歩きにくいよ、って前から声がする。わざとぶっきらぼうにしようとしてるのが丸わかりの、やさしい声だった。だからわたしも、いいじゃんちょっとくらい、なんて雑に返す。
だって、だってね、まだ春にもなりきらない夜の風はひどく生ぬるくって、ひとりで受けるにはあんまりにも泣きたくなる、から。
幼馴染の着ている服もやっぱり、何年も着古したくたくたの部屋着だった。その、頼りない生地に鼻先をすりつける。沈丁花と、夜の風と、春前の、どうにもならない空気にまぎれて、昔からよく知っている、この子の家のにおいがした。

5秒間だけはハグしてくれるよね春ってそういうところあるよね/独活部さん


04 わらびもちさん




元々少しぼんやりしたところがある子だなとは思っていたけど、この頃の彼女はさらにだった。隣にいても、気づくと月を見上げてぼーっとしている。
声をかけると、一度ぱちん、と瞬いてからこちらを見る。そうして、どうしたの、なんて笑ってみせるのだ。こっちの台詞だよ、とは、思っても言わない。代わりに、その時々でおかしくないような話題を持ち出してみる。課題やった? 夕飯どうする? そろそろ帰る?
所属している写真サークルには明確な活動日がない。空きコマになると、何となく定位置になっている学生食堂の片隅に行って、その時々で集まっている面々と駄弁ったり、たまに学内を散策して写真を撮ったりする。
ほとんど顔も出さないメンバーもいるけれど、彼女は基本的にいつ行ってもそこにいた。自分のカメラもちゃんと持っていて、大学にも毎日持ってきている。
「いつか忘れちゃうかもしれないから」
写真、好きなの、とはじめに尋ねたとき(今思うと何ともぱっとしない質問だ)、彼女はそんな風に言ったのだっけ。彼女の華奢な手で持つと、僕のと同じ機種のカメラも、何だかやけに大きく見えた。
今夜は月がよく見える。学校を出て、駅まで歩く道でも、彼女はじーっと月を見上げて、どこかぼんやりしていた。黙って立っている分にはいいけれど、車も人の通りも多い中では危なっかしいことこの上ない。
「ひかれちゃうよ」
背伸びするようにして月を見上げる、彼女の細い首筋や、うすい頬のあたりに、まぶしいくらいの光が降りそそいでいる。思わず見惚れそうになりながらも、僕は彼女の手首を掴んだ。
ごめんね、と彼女は照れたように微笑んで、視線を月から僕へと向ける。謝ってほしかったわけじゃない。いや、とか、ううん、とか、僕は口の中でもごもご言った。
彼女の細い手首に絡めた指先は、はずしそこねたふりで、そのままにした。
彼女の手を引いて、駅までの道を歩く。もうすぐ学校の最寄駅だ。時間はまだ、そんなに遅くない。
隣を歩く彼女の様子をうかがうと、やっぱり月を見上げてぼんやりしている。思わず、指先に力を入れた。彼女が痛くないように気をつけながら、でも、しっかりと手首を握りしめる。
僕は彼女に話しかける。いつもするように。課題やった? 夕飯どうする? ねえ、
帰んないでよ。

満ちた日にいつも視線を奪われて「帰ってこい」と呼ばれてるかも/わらびもちさん


05 春さん




人間ってややこしい。いやなことがあったら、腹が立ったら、悲しかったら、泣いてしまえばいいのに。涙を流すだけの機能を持っているのだから、それを活用したらいいのに。
それでも、泣きたいときにあえて泣かない、という選択肢をとる人間は少なくない。
赤ん坊や小さな子どもは、泣くことで思いを伝える。単純明快でいいじゃないかとおれなんかは思うけれど、話はそう単純なことではないらしい。
おれの受け持ちのなかには、そういう、泣きたいのに泣かない、という人間が多くいる。理性的といえば聞こえもいいが、見ているこちらからするとじれったいことこの上ない。
もう泣いてしまえよ、と声をかけてやりたくなったことが、今まで何度あったろう。それでも、直接人間に声をかけるのは御法度だ。ごくごくたまに、おれたちの声が聞こえてしまう人間も、いなくもないけど。あれはまあ、特殊なタイプで。
おれたちに出来るのは、受け持ちの人間を見守ること。人間の営みを見届けること。声はかけず、彼らの行く末をその運命に任せること。
そうしてもうひとつ。これは、おまけみたいなものなのだけれど。
棚にしまっておいたじょうろを取ってきて、なみなみと水で満たす。重たくなったそれを手に、おれは受け持ちの区画に向かう。
じょうろを下に傾けた。ざあざあと降りそそぐ雨滴に、うつむいていた彼や彼女の顔が上がる。驚いたような表情から、ああ、雨か、と納得したような顔にかわって、それからゆっくりと、目元や口元がくしゃくしゃに滲んでいく。ほら、これでいい。
泣きたくても泣けないのが人間であり、そうと決めた人間には何も手出しできないのがおれなのだとしたら。泣かないと決めた彼らには、してやれることなど何もないのだとしたら。
それでも、おれはおれなりに、きみらへ祝福を捧げるよ。
だから、なあ。せいぜい派手に濡れてくれ。

泣かないと決めた人らを見守ってときには雨も降らせる仕事/春さん


06 深水遊脚さん



職場には何も仲良しこよしをしに行っているわけじゃない。基本的な挨拶や連絡事項のやり取り、疑問点の確認などが問題なく出来るだけの、必要最低限のコミュニケーション能力と社交性があればそれで十分だ。
そう、思っているのは本当で、だから別に、いいんだ。
自分以外の誰も彼もが親しげに話しているように思えたって、ちょっとした世間話ができる相手が気づいたらいなくなっていて、誰とも話さないで帰ってくるのが当たり前になっていたって、死ぬわけじゃない。
それでもたとえば、給湯室でふっと、誰かと出くわしたときに。お昼休みの休憩室で、電子レンジ待ちの人が自分以外にもいたときに。自分の席に戻ったら、すぐ近くの誰かと誰かが何かを喋っていたときに。
ちょっとした話、を、できたらいいんだろうと思うことがある。もしくは、さらりとその輪に加われるならよかったんだろうって。
でも、何の話ですかなんて聞くには、人への興味も積極性も足りなくて、結局は何とはなしに周りが話すことをただ聞いている。もしくは沈黙をそのままに享受する。ただそこにいるだけだ。大丈夫。
大丈夫、って、思ってる時点であんまりもう、大丈夫じゃないのかもしれないな。
そう思ったときにはもう、いろいろ遅かった。

下巻から読み始めてる小説のように空気をつかめずにいる/深水遊脚さん


07 古迫ねねさん




一軒目で解散すればいいのにそうはしないで、必ずと言っていいほど二軒目にもつれ込む。それも飲み屋じゃなくって深夜営業もしているファミレスに。ファミレスでだってお酒は飲める。
単価が安くてそこそこ美味しいのって正義だよ、なんて何回言い合ったのかわからない。ほぼ毎回言っているような気もする。いっつもへべれけになっているから細かい回数までは曖昧だけど。
この子と飲んでていちばんいいのは、べたべたどろどろしたことを言わないことだ。愚痴は言う。上司や嫌な先輩、手のかかる後輩、訳分かんないことでネチネチ嫌味を飛ばしてくるお局、みんなみんな爆発しちゃえって呪詛も吐く。だけど、そういうこと全部、生ビールのグラスを大きく傾けて、ハイボールをぐうっと飲み干して、細い指先には見合わない大ジョッキをどん! とテーブルに叩きつけるように置いてから、くそったれって明るく言うんだ。
労働は、する。生きていくためには働かなきゃならない。お金は大事だ。欲しいものを買って行きたい場所に行って食べたいものを食べる、そのためにわたしたちは週五勤務を全うする。
とはいえやっぱり凹むことはあるし、自信なんていつまで経っても大して持てないし、頑張ってみたところでろくな評価も受けられないで、もういいやって腐りそうになる方がよっぽど多い。
それでも。
この子の持ってるグラスの、そこにまとわりつく水滴の、夜なのにやたらと明るいファミレスの、なんだか泣きそうなくらいのまぶしさがある限り。
なんかまだもう少し、あともう少しなら、どうにかやってみてもいいかなって、思い直せるんだ。

僕だけの、この永遠がある限り光ばら撒き合う金曜日/古迫ねねさん


08 ぺちかさん



アリーナでもスタンド下段でもなくて、本当に天井席。場所だけでいったらまあ、ぜんぜんよくはない。だけどここにいるのは本当。遠くたって君はあのステージにいて、わたしはずっとそれを、焼きつけるみたいに見つめている。
部屋の中だとあんなにまぶしく思えた君の色なのに、今手元で灯してみたら、急に心細いような気持ちになった。
周りにもたくさん、おんなじ光があるからかな。そのなかのたったひとり、わたしが灯す光なんて、君の目には映らないような気がするからなのかも。
それでもいつか、どこかで。今日じゃなくてもいい。わたしが君のいる場所へ足を運んでいる限り、君の色を振り続けている限り、君が君の、君だけの色の光を目にすることは、きっとある。そう願ってる。
君はずっと明るい場所にいたらいい。いてほしい。そう祈っているの、本当なんだ。
でも、もしかしたら、不意に君が暗闇のなかに入り込んでしまうことが、どちらへ進んだらいいのか分からなくなってしまうことが、あるかもしれなくて。そうしたら、そのときには。
わたしはずっと、君の色をここで振っているから。
どうかその光が、君のところまで届きますように。

暗闇の 道標になりますよう、君の色を振っています。/ぺちかさん


09 むつみさん




わたしが使うとき毎回紙を切らす複合機。絶え間なく代表電話にかかるセールス。昼を買いに出ようとしたらエレベーターで積載量オーバー。
上司の面倒な注文をさばいて、申請方法がわからないとか抜かす人間の相手をして、ようやっと、本当にようやっと金曜日。
平日五日の疲れをたったの二日でとれるはずもないって、何でみんな分からないんだろう。
泥のように眠って起きて、家にあるものを適当に食べて、そうするうち土曜日の夕方になってしまう。勤務時間なんてあんなに一分一秒が長いのに、休みになるとこんなに早く過ぎ去るの、何かのバグじゃないのかな。
見たいものがあるわけでもないけど何となく人の気配を感じていたくてテレビをつける。ちょうど民放にチャンネルが合わさっていた。
今週は何かいいことありましたか、って、不意打ちで聞かれて、何でだろう、その瞬間にぼろぼろ涙が出た。
文句も言わずにコピー用紙を補充して、偉そうな口調の電話にも丁寧に対応して、満員のエレベーターからは何にも気にしてないですって顔して降りて。
上司の言うとおり仕事を完璧にこなしても、何もかも人頼みの人間の相手をしても、誰も褒めてくれない。
それが当たり前だから。わたしだって大人で、社会人で、褒められたいなんていまさらそんなの、まさか言えないし、言っちゃいけないってわかってる。
わかってるけど。
今週は、って、いいことなんて何もないよ。なんにも。がんばったってなんにも。
それでもやっぱり、わたしはコピー用紙を補充するし、代表電話の応対もちゃんとする。やなことがあっても笑ってみせる。面倒な上司や周りの相手もする。
たくさん、たくさんの善意とか努力とか忍耐とか、名前もつかないものたちは日々、生まれてはすぐに死んでいくけど。
そういうものをすべて投げ出したら、きっとわたしはわたしでなくなってしまうって、そんなおそれとも祈りともつかない感情だけで、わたしはまだここに立っている。

今週もがんばりました人知れず名前のないまま死んでいきます/むつみさん


10 偏頭痛さん




頑張り屋さんなのは知っていた。真面目すぎるほど真面目なのも。ちょっとくらい手を抜いても、少しズルをしても、誰も咎めないのに。わたしたちの周りには、そういう大人ばっかりなのに。
金曜日の定時すぎ。あの子の席に寄っていって、おうちに帰ってもう寝る? ちょっとだけビール飲む? って聞いたら、ビール飲む、って即答してくれて、ああよかった、って心底思う。
本当にやばいときはわたしの誘いも断るんだよ、ってずっと言ってるから、うなずいてくれたってことはまだ、少しは平気と思ってよさそう。それでも、本当のところはわからないから(それくらいに頑張り屋さんだしとにかくやさしい子なのだ)、今日は気持ち早めに切り上げるようにしよう。
ふんわりして、人当たりがよくて、やさしい。陰口なんか絶対言わないし、仕事の愚痴を言うときだって、ちゃんと客観的に話そうとする。自分のここは至らないけど、って必ず前置きをして、誰の何のことでもフラットに判断する。
そんな、そんなに、ちゃんとしなくたっていいんだよ、って思う。直接言いもする。そこまで誠実であろうとしたって、正しく過ごそうとしたって、あなたのやさしさを、真面目さを、ただただ食い潰すだけの人間の方が、絶対的に多いんだから。
でもこの子は、そうしないんだ。ずーっとちゃんとしている。頑張り屋さんで、真面目で、正しくて、丁寧で、やさしい。
「おつかれさま!」
「おつかれさま、あの、誘ってくれてありがとうね」
「なに言ってんの、誘うよ! あたりまえ!」
「当たり前なんだ」
「そうだよ!」
この子みたいな強さって、わたしには正直ないし、してあげられることだって、たったのこれっぽっちなんだけど。
でも、あなたがどんより泣きそうな顔をしていることには、なるだけ早く気づきたいって思うし、そんな顔させる場所や人からはとにかく遠ざけてあげたいんだ。
「もうほんと、やなやつみんなタンスの角に小指ぶつけちゃえばいいのに!」
そうしてばかみたいなことばっかり言ってね、なあにそれってあなたがくすくす笑ってくれたらいいなって、本当に思うよ。

やさしいはシフト制だよ 今日きみはちょっといじわるでもいいんだよ/偏頭痛さん


11 あきさん



家からかなり離れたところにそのスタジアムはあって、遠いよねって言いながらも友達と電車に揺られていった。何だか朝から、もしかしたらその前の日から、いや本当はもっともっと前から、はしゃぎ回りたいくらいにうれしくてたまらなかった。
座席は割と上の方で、メインステージは真ん前に見えたけど、直線距離で言ったらそこそこ遠かった。でも、だからって、何だというんだろう。近さ遠さがどうって、そんなの問題じゃなかった。
だって。
だって、あそこに、今、わたしが見ている目の前に、同じ空間に、この場所に、君がいるんだ。
とにかくどきどきして、何度もこれは夢じゃないかって思った。ほんとうだよね、ほんものだよねって、熱に浮かされるみたいに、そばにいる子に繰り返し聞きもした。
テレビ画面の向こうじゃなくて。雑誌に載る、薄っぺらい写真のなかの姿ではなくて。今ここに、あそこに、同じ空気を吸って、君は立っている。
信じられないかもしれないけど、本当に発光して見えたんだ。遠く向こうにいる、豆粒みたいに小さな姿でも。きみの全身がひかりで包まれているみたいだった。

君のいる世界はとても美しいありきたりなんて言わないでくれ/あきさん


12 杏湯さん




ヒールの高い靴を履いてもふらつかなくなったのはいつからだったっけ。カツカツ高い靴音を立てて歩いていけるようになったのは。小綺麗なだけのオフィスカジュアルを、感情を挟まず何気なく着られるようになったのは。
月曜日が来るのを怖がっているなんて、家でぐずぐずに泣いていることなんて、誰にも微塵も想像させずにいられるようになったのは。
ひとりでも、平気だ。大丈夫。ちゃんと歩いていける。足が痛くなったって、絆創膏もきちんと持っているし、それを貼りながら、傷は傷として治しながら、正しく生きていける。
それでも。
行ってきますを言うときに。ただいま、って誰もいない家に帰りついたときに。ぱちん、って、自分で消したり点けたりする室内灯。
その、LEDの明るすぎるくらいの光が目に染みてしょうがないの、これまでだったら気にもならなかったのに。どうして。いつから?
泣きたい、わけじゃないのに、雨の前の日のにおいって、胸に迫ってくるから好きになれない。少しだけ開けていたベランダの窓をからから閉じる。ついでにカーテンも引いて、そうしたら、まぶたの裏にふっと、誰かの影が映る。
ベランダのそばのよく日のあたるところにぺたっと座り込んで、床にそのまま雑誌を置いて読んでいたっけ。目悪くなるよ、ってわたしが声をかけても、もうじゅうぶん悪いもん、とかって言うだけで、ぜんぜんちゃんと取り合わなくて。
ちょっとだけ丸まったきみの背中を見ているのが好きだった。おんなじ柔軟剤のにおいのスウェットを着て、寝癖もそのまんまにしてたっけ。平日はそれでもまあまあちゃんとするのに、休みの日はてんでだめだった。
どうせふたりだからいいじゃんか、なんてきみが笑ってた。あれ、もう何週間前のことだろう。

ひとりでも生きていけると思いたい きみの猫背の角度が恋しい/杏湯さん


13 遊佐さん




さっさと眠ったらいいのはわかってる。スマホブルーライト、ダークモードにしたって結局は煌々と目を焼くよくない光。眠る前の何時間かはスマホなんていじんないで本でも読んで、って、言われなくたってわかってる。
リラックスできる香り、っていうおすすめで買ってきたアロマだって、火をつけたり消したりが面倒で早々にやらなくなっちゃった。わたしはいつもそうだ。今度こそ、って、思うときは本気だし真剣なのに。
そのくせスマホだけは惰性で延々に弄っていられるの、本当に何なんだろうね。
インスタも、何か調べたいものや積極的に見たいものがあるわけじゃないのに、気づくと開いてしまっている。スマホのホーム画面をあっちこっちうろうろして、最終的に行き場のなくなった指先が押しやすい位置にアイコンがあるのが悪い。とかってこの配置にしてるのもわたしだ。ばかみたい。
前は結構喋ってたけど、今はもうそこまで密でもなくなっちゃった、わざわざ個別に連絡をとるほどじゃないな、ってひとが、わたしには何人いるんだろう。ていうかもう、そういうひとのが多いのかな。
うっすらと浮かんできたそんな思考は、ふわふわとして、きちんと形が捉えられない。でも、ちゃんとその全体を見ようとすると、何だかおそろしいものがすぐそこまで迫ってくるような気がして、わたしは結局、すぐに考えるのをやめた。
インスタのなかのひとって、いつも明るくってきれいだ。ストーリーを端から順々に見ていっても、本当にずーっときれい。このひとたちはきっと、アロマにちゃんと火をつけて、その始末もして眠れるんだろうなって思う。
わかってる。こんなことしてないでさっさと眠ったらいいって。スマホなんて開かないでおけばいいって。見たって何にもならないインスタ。ぜんぶ見ても見なくても変わらないストーリー。きらきらしたそれをどんなに浴びたって、わたしがそうなれるんでもないってことは、もうずっと、
スマホを伏せて置いて、掛け布団を頭からかぶる。無理矢理に作り出した暗闇のなかにいて、それでも瞼の裏にはちかちかと、今まで見ていた色とりどりの光が瞬いている。

ストーリーを右タップで飛ばしてく 対岸の煌めきは遠くて/遊佐さん


14 線香さん




嘘つきは泥棒の始まり、って言うけどさ、おれは別にものを盗もうとは思ってないんだ。嘘つきっていうのも、結果的にそうなっちゃったなあ、くらいの話で。
何の話かわかりにくい? ああうん、ごめんね。結論から話せってよく言われんの。あとあんま盛るなってさ。バラエティやんなくていいって……、いや、そっか、こういうのが余計なのか。ごめんごめん。
誰かの救いになりたいとか、そんな大層なことは考えてない。夢を与えたいとか、励ましたいとか。おれが、おれたちが出来ることって、本当にはあんまり多くなくって。
ありがたいことに、おれたちを見て元気をもらったとか、頑張れたとか、そんな風に言ってもらうことも結構ある。でも、そもそもおれたちの活動だって、周りのサポートがなければ絶対できないことも多いし。
でも。あのとき、コンサートの、ある曲の途中。
花道を歩いて行って、手を振った。近くにいて、こちらを見つめていた子と、はっきり目が合った。あの一瞬。
かみさま、って。見間違いじゃなければ、多分、きっと。
あのときのあの子はそう言ったんだ。
そうして、かみさま、って言われたおれも、黙って手を振り返した。ちがうよって、言えなかった。そんないいもんじゃないんだって。
だから、あのときからおれはずっと、あの子にとってのかみさまでいる。そうあり続けてる。本当はぜんぜん、そんなんじゃないのにね。
おれはただの嘘つきで、多分きっと、天国には行けない。それくらいの悪さは、まあまあふつうにしちゃってる、と思う。ちがうよ、って、思いながらも、ひらりと振り返した手のひらを、なかったことにはできない。
でも。おれはやっぱり、手を振ってしまうと思うんだ。また、あの子みたいに、こちらをきらきらした目で見つめる存在に出会ったら。かみさま、って、迷いなく呼びかけられたなら。
嘘つきでごめん。かみさまになんて、なれなくてごめん。思ってるのは、そうだね、多分、嘘じゃない。

かみさまの振りをしたから天国に行けないかもね、ごめんね、またね/線香さん


15 月食さん




隣の部署のお姉さんは、いつも背筋がぴんとしていて、見るからに仕事ができる人というかんじ。ふわふわしているわたしなんかが話しかけるの、恐れ多いな、と思って、これまで遠巻きにしてきたのだけれど、担当者変更があったみたいで、毎月数回、そのお姉さんとやり取りをすることになった。
とはいえ、まあ、これまでと大きな変化があるわけでもない。お姉さんはいつも通り凛としているし、わたしはふわふわしている。仕事上のやり取りも、そのまんま。すみません! って何回言ったかな、申し訳ない……。
ただ、ひとつ意外というか、予想もしていなかったことがある。
仕事のやり取りで、ちょっとしたメモをつけることが多々ある。そういうとき、わたしは会社の備品の、何の変哲もない付箋に書いて渡している。
でも、お姉さんは違うのだ。
毎回、何だかやたらとかわいいメモ帳に書いてくれている。メモ帳もかわいければ、それを貼り付けるためのマスキングテープもかわいい。
えっ、お姉さん、こんなの持ってたんだ……? って、失礼かもしれないけど、意外に思った。こんなこと言ったら本当は駄目なんだろうけど、お茶目でかわいい、って、お姉さんのことを大好きになった。
そして、今。
わたしはまた新たなお姉さんの一面にふれて、小踊りしたいのをどうにか堪えている。
お姉さんはいつも、メモ書きの最後に自分の名前のハンコを押してくれていた。でも、たまたま手元になかったのか、今日は違った。メモ帳も切らしてしまったのか、ふつうの付箋だ。だから、ちょっと趣向を変えてみようと思ったのかは分からない。
いつもならハンコが押されている位置にあったのは、多分……犬? と、山の絵。
お姉さんは、犬山さんというお名前だ。

本当の秘密は指向性があるから君宛、内緒にしてね/月食さん


16 碓氷さん




何をそんなに喋ってたんだっけ、って、思い返してみてもいろいろぼんやりしてる。中身のある話ってほとんどしてない。
好きなアイドル、ゲーム、お菓子、友達、学校のこと、行き帰りの道であったちょっとした出来事、嬉しかった、悲しかった、しんどかった、何でもかんでもごちゃ混ぜに、思いつくまま話してる。
一緒にいる間、喉が痛くなるまで喋り尽くしても、反対にしばらく黙ってたって、お互いぜんぜん構わないでいられるのは割と貴重なんだってわかったの、実は結構最近だったりする。昔からそうだったし、それが当たり前で、今更意識もしてなかったんだ。
わたしたちはもう、大人だから。子どものままではいられないから。合わない人もいる、苦手な人もいる、どうやったって噛み合わないって人だっていて、それでも、表向きはちゃんと付き合っていかないといけなくて。
そういうなかで暮らしていくの、当たり前なのはわかってるけど。たまにすごく、息がしにくくなる。溺れてしまわないように、慌てて深く呼吸をし直す。
そのたびに、ああ、君とだったら、って思うんだ。君と一緒のときは、こんなことないのになって。
あとから考えてみたら、何を話していたんだか、ぜんぜん思い出せないようなことばっか、ふたりで延々喋ってた。くだらないことで笑って、おなかが痛くなるまではしゃいでた。
ああいうの、ぜんぶ、特別だったんだね。かけがえのない、なんて言うの、こそばゆい気もするけど。でも本当に、大切だったんだ。無くなるなんて考えたくもないな。
わたしも、君も、出来る限りずっと長生きしたいね。それでずっと、何歳になっても、おんなじようなことを喋っていよう。

くだらないことで笑い合う時間が無くなると思うと死ぬのが怖い/碓氷さん


17 夏野さん




たとえばSNSの、たとえばあなたを悪く言う人。善意に見せかけた悪意。よく読まないとわからないけれど、確実に紛れ込ませている嫌味。
そういうの、全部、なくなればいいのにって思う。いくらスパブロしたってきりがなくって、一瞬わたしの目の前からはいなくなるけど、この世にあることには変わりなくって。
でも、あなたはそういうのも嫌がるんだろうね。
だってあなたはちゃんとやさしい。本当だったら、もうとっくに愛想を尽かしてしまっているだろうに、って何度となく思う。好き勝手に気持ちを慮られて、あることないこと喧伝されて、それでもまだここにいてくれる。わたしたちの方を向いてくれている。
どうしてそんなに強くあれるの、って、思ってしまうけど、別に強い訳じゃないんだろうね。そう見せてくれているだけで。特別な存在みたいに、振る舞ってくれているだけで。
あなたはずっと正しく偶像であってくれる。だから(なんて言うのも本当に勝手な話だけれど)、わたしたち、おんなじ人間なんだって、そんなひどく単純なことを、何度でも忘れてしまうんだ。
たとえばSNSの、たとえばあなたを悪く言う人と、わたしの違いって、なんなんだろうね。もうぜんぜん分かんないんだ。
だからどうか、わたしの言うことだって、ひとつもあなたの目には映らないままでいてって、最近はそれだけを祈ってる。おねがい、

ゆっくりと瞼を開くその時はやさしい花が揺れますように/夏野さん


18 飄さん




寝転がって無になる時間が長すぎるのは分かってる。さっき食べてそのまんまにした食器を洗う、脱ぎ散らかした服を洗濯機に入れる、ああそうだ、明日の準備もしてないし、そもそもお風呂にもまだ入ってない。
くるくるくるくる、思考は回る。やらなきゃいけないことが、次から次へと浮かんでくる。それなのに、わたしはベッドに寝転がったまま動けない。傍らに置いたスマホから目が離せない。
ラインの通知、ぜんぜん消せてない。既読だけでもつけたらいいのかな、それとも何にも見ない方がいいのかな。アイコンをタップして、目を通す、それだけのことが、何でか分からないけれど、本当に出来なくって。
だらだら見ていた動画が終わってしまって、でもまた違う動画の再生が始まる。プレミアムに入っててよかった、ってこういうときは本当に思う。何にもしなくたって、勝手に流れていってくれる。広告でぶちぶち切れたりしない。何かを流し続けている間は、我にかえらなくて済む。
本当は、もっと、ちゃんとしたかった。ちゃんと人付き合いして、ラインも溜めずに返して、自分からも連絡をまめにとって。もっとちゃんと。皆ができてるみたいにちゃんと。
スマホの画面にふっと、メッセージの通知が浮かんでくる。友人から。指先が一瞬戸惑って、でもそのおかげで、数日ぶりにラインが見られた。慌てたせいで、ほとんど事故みたいにタップして開いた、メッセージ画面。
「……えっ」
そうして、これもまた意図せずに、わたしは反射的に起き上がり、ベッドの上で座り直した。友人からのメッセージを、食い入るように見つめる。
友人と、わたしの好きなグループの、全国ツアー。日程はこの秋から冬。申込みは明日から。
一緒に申し込もう、日程の相談がしたい、と連絡をくれた友人に、慌てて返事をする。それから、カレンダーアプリを開いて、休みを確認。
数ヶ月先に、自分がどうなっているかなんて、本当にはわからない。今みたいに、いやもしかしたら、今よりもっとぐずぐずになって、動けなくなっているのかも。
それでも、まだ、もうちょっと。せめて今年の秋までは。君に会えるかもしれないときまでは。
もうちょっとだけ生きてても、ぐだぐだでもどうにかまだ、やっていけるかもって思うんだ。

もうちょっと生きてもいいなの繰り返し三度目の秋きみは約束(アイドル)/飄さん





改めまして、短文を書かせていただいた皆さま、本当にありがとうございました!
短歌をどう読みどう感じたか、感想とはまた違った形で表現するのは、難しい部分もありましたがとても楽しかったです。お読みくださった方々にも感謝しています(いきなり何を始めているんだろうと不思議に思われただろうな、とは感じています……)。
もしご感想などあればぜひお題箱まで↓
odaibako.net