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短歌と感想ほかまとめ

いつか忘れるときがきたって

アイドルを好きな人間として自己紹介をするとしたら、まず深澤担ですと名乗り、それから、丸山担でもあります、と付け加える。Snow Manの深澤辰哉さんと、関ジャニ∞丸山隆平さんが、2023年10月現在の、わたしの自担だ。
この順番でお名前を出すのには意図があって、純粋に、オタクとして使っている時間とお金の比重が大きいのが深澤さんの方だからだ。関ジャニ∞も、丸山さんも好きだし、ライブにも行くが、日頃テレビを見たり雑誌を買ったりすることはほとんどない。
ただ、担降りしたか、と言われるとそれも違う。やっぱり好きは好きなので、甘っちょろいことを言っているかもしれないが、わたしは深澤担であり丸山担である、と自称している。

わたしが関ジャニ∞を、丸山さんを好きになったのは2012年だった。そのときから今までに、関ジャニ∞はメンバーの脱退を2回経験している。
7人の関ジャニ∞を好きになって、6人の彼らもたまらなく好きで、そうして、5人になった姿を、やっぱりどうしたって嫌いにはなれなかった。かたちが変わっても、人が、いなくなってしまっても、関ジャニ∞というグループが好きだった。
これから書こうとしていることは、ただの感傷だ。あくまでわたし個人にあったこと、その時々に考えていたことを振り返り、そういえばそうだった、とか、よく考えてみると、あのときわたしはこう感じていたのか、とか思うためだけの文章。だから、読みやすくもないし、特別面白いものでもない。
日々感じることはすぐに薄れて、そのうち思い出せなくなる。実際自分がどう思っていたかなんて、本当には曖昧だ。この後書く文章だって、その当時のわたしが読んだら、嘘ばっかり書くなと思うようなものかもしれない。
それでも、今年の、2023年の夏は、わたしにとって、ほんの少しだけ、その感傷を許してもいいと思えた、そんなタイミングだったのだ。


関ジャニ∞のライブに初めて行ったのは2011年冬。友人に誘ってもらって、「KANJANI∞ 五大ドームTOUR EIGHT×EIGHTER おもんなかったらドームすいません」東京ドーム公演に入った。ライブを観る前によければ、と言って、アルバムやシングルも貸してもらった。
ただ、その時点では、面白いな、格好いいなと感じこそすれ、明確にハマるということはなかった。グループ全体として好き、誰かひとり特にと言われたら丸山さんかな、くらいの感覚。上記ツアーはアルバム「FIGHT」を引っ提げて行われたもので、わたしはとにかく「FIGHT」の世界観が好きだった。「Fight for the Eight」MV、本当に大好き。あのときの丸山さんよかったな。
また、友人は横山担ではあったが、丸山さんのこともかなり好きで、その友人から話を聞いたり、一緒に円盤を観たりしたことも、わたしが丸山さんに興味を持ったきっかけではあったと、今になって思う。

状況が変わったのは翌年、2012年になってから。前述のライブに誘ってくれた友人から、夏に∞祭というイベント(正式名称を今調べたら「関ジャニ∞ ∞祭~ボクらも8っちゃい、8っちゃけまつり~」だった。長い)がある、という話を聞いた。関ジャニ∞の8周年記念。
友人から、チケットが取れたら一緒に行こうと誘われて、ぜひと答えた。しかし、なかなかチケットは取れなかった。最終的に、一般発売があるから、これも駄目元で申し込みを手伝ってほしいという話を受け、わたしは二つ返事で引き受けた。前に連れて行ってもらったライブは楽しかったし、何より友人は関ジャニ∞のファンになって、本当に楽しそうだったから、記念すべき周年イベントに行けるならいい、と思った。
結果、これは完全にビギナーズラックだと思っているのだけれど、チケットは取れた。家のPCと携帯(その当時はまだガラケーだった)でよくやったと思う。友人は本当に喜んでくれて、それだけでも十分うれしかった。

そして、∞祭は楽しかった。∞祭は滞在型のイベントで、ファンは各日5グループに分かれて入場し、会場内で2つのステージ(トークステージ/ライブステージ)を楽しみ、空いた時間で展示や物販・飲食エリアを見て回る。オタクとしてはかなり満喫できたが、関ジャニ∞の皆さんのタイムスケジュールはその分鬼畜な仕様になっていた。
ファンの入場がグループごと5回に分けられており、各グループが2つのステージを時間内に見る流れ。つまりどうなるかというと、関ジャニ∞の皆さんは1日中、ステージに出ずっぱりになるんですね……。トークステージ→ライブステージ→トークステージ、という流れを延々繰り返す。これを、東京2日間・大阪3日間で開催。シンプルにやばい。ちなみに、横山さんたちと同学年の兄(当時31歳)にもこのスケジュールを見せたところ、「おれらの歳でそんなことやってんの? とんだブラック企業じゃん」と言っていた。
話を戻そう。
さて、このとき、∞祭を友人と見て回りながら、わたしは誰がいちばん好きだろう、と考えていた。既にその時点で、丸山さん、なんとなく好きだな、とは思っていたものの、はっきりとファンを名乗るにはまだ足りないと思っていた。足りない、多分、覚悟とか、そういうものが。

物心ついた頃から物語が好きだった。成長するにしたがって漫画も読むようになり、中高生のときにはもう立派なオタクになっていた。それでも、長い間ずっと、ハマる対象はあくまで小説や漫画、アニメといった、二次元のものでしかなかった。
そんな中、突然現れたアイドルという新たなコンテンツ(オタクとしてあえて言うならジャンル)を前に、わたしはどうしたらいいか分からなくなっていた。これまで、新たなジャンルにハマるときは、それらが基本的に小説や漫画といった形態であったため、とにかく関連する書籍を集めていけばよかった。どれほど長期連載をしている漫画だって、時間とお金さえかけられるなら、いつかは追いつける。ファンの中に古参や新規といった概念もあまりないだろう。
ただ、アイドル、実際に存在し活動している人たちが対象となると、まずこれまでのことを知らなければならないし(今になって思えば、別に過去を知ることは必須でもないし、もう少しラフに構えたらいいのでは、という話ではある)、そうしている間にも、今このときの彼らはどんどん移り変わっていく。新たな情報は日々追加され、どれほど頑張っても追いつけない。関ジャニ∞はそのとき既に8周年。デビュー前に関西で活動していた期間も含めればさらに歴史は長い。

∞祭から帰ってきて、しばらくはそんなことでうだうだとしていたと思う。それでも結局、わたしは関ジャニ∞に、丸山さんにハマった。この人たちが好きだ、と自覚し、詳しく知っていこう、と決めた。過去も含めて全部は追えないにしたって、今と、これからの彼らを、もっと見てみたいと思った。
それからはまず、手に入るCDやDVDを出来るだけ買って、とにかく見た(当時はまだ学生で、金銭的な余裕もそこまでなかったので、限定的にはなるが……)。横山担の友人からおすすめを聞いたりもしたと思う。
元々あまりテレビ番組を見る習慣がないので、彼らが出演するバラエティ番組は見られる範囲で追い、代わりに雑誌を買い漁るようになった。このあたり、二次オタだったときの習性が抜けないな……と我ながら思うのだが、とにかく文字ベースかつ手元に置いておける情報を欲しがってしまう。

当時見て、あれが丸山担になるきっかけだった、とはっきり覚えているものがひとつある。
関ジャニ∞のアルバム「PUZZLE」、初回限定盤の特典DVDに収録されている「YOU CAN SEE」のMV。村上さんと丸山さん、ふたりのユニット曲だ。
もう……あの……天才? といきなり語彙力のない人間になってしまうが、本当に、本当にこの曲とMVが大好きすぎて、しばらく浮かされていた。まずもって世界観が好き。和と洋にはじまる様々な対比。よくわからんけど裏社会っぽい雰囲気のなか、日本刀を持ったベスト姿の村上さんと、拳銃を持ったロングコート姿の丸山さん(書いていて思ったけど本当にわからん。何だったんだあれ)。「YOU CAN SEE」MV、気になった方はDVDを貸すので言ってください。頼むから見て。
それから、五大ドームツアーの円盤も繰り返し見た。先に書いた通り、わたしが初めて行った関ジャニ∞のライブ。丸山さんが好きだ、と自覚してから見ると、特典映像をはじめ、好きなポイントが改めてたくさんあった。オープニング映像、格好いいんだよなあ。そして横山さんと丸山さんのユニット曲「パンぱんだ」はすこぶるかわいいのでおすすめです。

そうこうするうち、同年9月からは「KANJANI∞ LIVE TOUR!! 8EST 〜みんなの想いはどうなんだい? 僕らの想いは無限大!!〜」がスタート。わたしはまだFC会員になっていなかったが、友人が声をかけてくれて、9月15日、味の素スタジアム公演へ向かった。関ジャニ∞が、丸山さんが好きだ、とはっきり自覚した後に行く、はじめてのライブ。
ライブが終わった後に出た感想は、「実在してる……」だった。今になってみるとおかしいが、そのときはそうとしか言えなかった。
まだファンとも言えないような状態だった∞祭のときとは違って、このひとが好きだ、と強く思って見た、丸山さんの姿。目の前に、物理的には距離があるとはいえ、同じときに、同じ場所にいて、いきいきと歌い踊っていること。それを、自分の目で確かめられること。
今までずっと好きだった物語の世界とは大きく違う。同じ時代に生きているひとを、今、このときに見つめていられる。
信じられないような気分だった。
その後も、関ジャニ∞が出演するテレビ番組や、掲載される雑誌をできる範囲で追い、円盤を買っては見ていった。前述の「8EST」ツアーは、東京ドーム公演にも行った。
そうして12月、わたしはついに覚悟を決め、関ジャニ∞のFC会員になった。
ところで、FC会員になる際には、「好きなアーティスト」を選択する必要がある。平たく言えば、そのグループの中で特にひとり好きな人を選ばなければならない。
わたしが「好きなアーティスト」として選んだのは、丸山隆平さんだった。


今までのことを振り返って書きながら思うのは、本当に、人の記憶なんて簡単に薄れてしまうものだ、ということだ。わたしには日記をつける習慣がなかったので、余計にそう思う。
関ジャニ∞が好きだ、丸山さんが好きだ、と思っていたことはわかるのに、具体的にいつ・どこが、と考えると、言葉に詰まる。そういうとき、もっとちゃんと書いておけばよかった、と悔しいような気分になる。2011年からTwitterを始めていたから、そこには断片的であっても思考や感情が残っていることを考えると、何もないよりはまだいいかもしれないが。
2012年からずっと、彼らが好きだった。関ジャニ∞を好きになって初めて、遠征というものをした。Twitterで知り合った友人と一緒にライブへ行ったり、それ以外でも遊んだり。わたしはずっと、自分がインドアで、人見知りで、新しい場所へ行くのが苦手な人間だと思っていたけれど、案外やってみれば出来ることも多く、また、楽しいものだと知った。
そういったことは嘘ではなくて、確かにあったことで、でも、ひとつひとつのライブを、見ていたテレビ番組や聴いていたラジオを、読んだ雑誌の内容を、今ちゃんと思い出そうとしても、どうしたって出来ない。

10年後またここで会おうよ そんときは今よりずっと笑っていよう
 ― 関ジャニ∞「象」

2014年冬、この歌を「関ジャニズム LIVE TOUR 2014≫2015」各公演で聴いたとき、10年後なんて、ぜんぜんわからなかった。自分が何の仕事をしているかも、結婚したり子どもがいたりするのかも、予想がつかなかった。もしかしたら、もうこうやってライブ会場へ足を運ぶことが難しくなっているかもしれない。
それでも、10年後を信じたいと思った。ここで、五大ドームのどこかで、それか、まったく違う会場でもいい。関ジャニ∞のライブに、今と同じように立っていたい。この歌を聴いて、10年経ったねって、やっぱりまだ好きだよって、変わらず思えたらいい。そんな風に、信じていたかった。

2017年に行われたライブツアー「関ジャニ'sエイターテインメント ジャム」は、完璧だった。前半はバンドセット、後半はダンス等がメインの、いわゆるアイドルらしいライブセット。どちらもやってみせる、大好きな関ジャニ∞がそこにいた。
そうしてこのツアーが、すばるくん脱退前の、最後のものになった。2018年春。FC会員宛のメールが来たときの、途方もない怖さ。
脱退についての会見は結局、見られなかった。見たらもう、全部終わってしまうような気がしたんだろうと、今は思う。この文章を書くにあたって、Twitterのログも見返してみたけれど、わたしはかなり意図的に情報を遠ざけていたようだ。あのときは、いろんな人が、いろんなことを言っていて、それらをすべて受け止めるキャパシティーなんて、到底なかった。

すばるくんの、関ジャニ∞としての活動は2018年7月まで、と決まっていた。ひとつひとつ、7人の関ジャニ∞としてのものが終わっていく。音楽番組や、冠番組への出演。何もかも。
このときのことは、本当におぼろげにしか覚えていない。あんなに辛かったはずなのに、と思うけれど、辛かったからこそ、忘れてしまいたかったのかもしれない。もしくは、ただ辛いだけではなく、6人の関ジャニ∞を大切に思う気持ちがより一層強くて、そちらで上書きされていったのかもしれない。
6人体制になって初めてのMステ出演で、彼らは「ここに」を披露した。その日は職場の飲み会があってリアルタイムで見ることはできず(思い出したら腹が立ってきた)、翌日、朝から見た。まだ夏の暑さが残るとき。昔住んでいた古い家のリビングで、食い入るように、刻み付けるように、6人になった彼らを見つめていた。

本当 本当 夢じゃなくて 終わらない旅を続けよう
 ― 関ジャニ∞「ここに」

大好きだと思った。やっぱり、関ジャニ∞というグループが好きだ。出会ったのは、7人の彼らで、でも、そうじゃなくなったからと言って、嫌いになんてなれなかった。

7人じゃ、関ジャニ∞のままじゃだめだったんだろうか、と思う気持ちは、もちろんある。いつまでだって、それこそ10年先だって、続いてほしかったって、願わなかったといえば嘘になる。それでも、すばるくんや、メンバーひとりひとりを責められないと思った。
アイドルだ、ということで、忘れそうになるけれど、彼らはわたしと同じ人間で、働いて生きている人たちで、たまたまアイドルという「職業」を選んだに過ぎない。彼らの年齢を考えれば、この先どうやって生きていくか、丁度岐路に立たされる時期であることは納得がいった。普通の会社勤めであれば転職だってするだろうし。
また、実際彼らがどんな対話を重ねたのか、ただのファンには到底知る由がない。こちらが手にできる情報は限られており、そんな中で、一方的に彼らを詰れるわけもなかった。何より、いちばん辛く苦しんでいるのは彼ら自身だろうと思えば、そんなこと、まさかできないと思った。
……とはいいつつ、包み隠さず言えば、当然めちゃくちゃ傷ついたし、嫌だなとも思ったし、何で? とは何回も考えた。関ジャニ∞というグループが好きで、残された人たちの方にどうしても肩入れしたくなったので、すばるくんを責める気持ちも、正直わいてはきた。
だから、すばるくんも元気でやってね、とは思えたけれど、その後の活動を追おうとは考えなかった。薄情と言われるかもしれない。でも、わたしが好きなのは、関ジャニ∞で、丸山さんなんだ、見ていたいと思うのはこのひとたちなんだ、とそのとき改めて実感したのだった。


2018年9月、「関ジャニ'sエイターテインメント GR8EST」東京ドーム公演2日目。
わたしはそのとき初めて、6人になった関ジャニ∞の姿を、生で見た。当時のTwitterに、ライブが終わってすぐの走り書きが残っていたので、少し長いけれど、下記に引用する。今どんな言葉を尽くすより、この言葉たちの方が、余程そのときのわたしの心情に近いだろう。

東京2日目、今回のツアーはこれがはじめてで 観る前からほんとにどうしよう、どんなきもちになるんだろうと思っていて ようやっと、ほんとにようやっと観てきて、たくさん考えたり感じたりしたけど、結局泣いてもしまったけど、でも観に行ってよかったなって思った 月並みなことしか出てこないけど…
さみしいし、かなしいし、やっぱり昔とは、知っていたかたちとは違うけど でも今のかたちがだめなわけじゃない、それどころかやっぱり好きで、もっと観たいと思うんだなって 改めて思ったし納得した 7人の彼らだって、今の彼らだって
でもなんとなく もっと比べてしまったり違和感をおぼえたりするかなと思っていたけど あんまりそういうこともなくて それはたぶん昔の、7人の彼らを、嫌いになったわけではなくてもちろん今でも好きなんだけど、でもそれ以上に今の彼らがどうしたって現実で、目の前に確かなものとしてあるから、そちらに上書きされていく、なじんでいく
代わりにだんだんと記憶は薄れていく、好きなものは好きなまま、でも昔のものはなじんで、わからなくなっていくのかなと思ったりした でもそれが悪いことでもないと思う 忘れてなかったことにするわけではないから

「今のかたちがだめなわけじゃない、それどころかやっぱり好き」。
そうだ、わたしは6人の関ジャニ∞が好きだった。7人の姿で好きになったけれど、7人でなければならない、とは思わなかった。もちろん、すぐそう思えたわけでもないし、受け止めるのに時間がかかりはしたけれど。でも、今思い返したって、6人の彼らを、嫌いになったことはなかった。


2018年11月、わたしは短歌を作り始めた。元々物語を書いてはいたのと、短歌や俳句といった詩歌を読むのは好きだったが、自分で作ろうとは考えたこともなかった。
作歌を始めた直接的なきっかけは、好きな物語の書き手さんが、短歌も作っていたこと。彼女の作るものを見て、いいなあと憧れを抱いていたが、あるときふと、わたしも作ったっていいのでは、と思い至った。
そして、ほぼ同じ時期に、Twitter上でアイドル短歌の存在を知る。そうか、アイドルについても詠んでいいんだ、と思って、こちらも少しずつ作るようになった。

くだらないゲームで笑うひとたちを海辺の金貨みたいに見てた
きらきらとしてるからすぐ欲しくなる消費されゆくきみの人生
ほんとうはこんなことする人じゃないはしゃいでくれるあなたが好きだ
 ― 2018年12月、関ジャニ∞ FCクリスマス動画にあてて

これが、初めて作ったアイドル短歌。今、同じ題材で作っても、おそらくこうはならないだろう。それでも、このときは、こうとしか詠めなかったし、こう詠みたかった。
クリスマス動画は、本当に、取るに足らないような、言ってしまえば「くだらない」ゲームをする内容だった。それなのに、皆はしゃいで、楽しそうだった。少なくともわたしにはそう見えた。視聴期限いっぱいまで、何度も見たと思う。何でもないことなのに、関ジャニ∞でいる間、彼らはそれを目一杯楽しんでいた。そんな姿がまぶしくて、大好きで、ずっと見ていたかった。

変わらないものなどないと知っているひとの歌だね ここは東京
 ― 関ジャニ∞ 錦戸亮さんにあてて
変わらずにいてくれなんて傲慢だ知っているのに未だ慣れない
 ― 関ジャニ∞にあてて

12月に詠んだものを、他にも少し引いた。これを詠んだときには、まだ、関ジャニ∞がさらに形を変えるなんて、思ってもいなかった。それでも、わたしはもう既に、変わらないものなんてないと知っていた。
そして、自分で言うのも何だが、亮ちゃんの短歌、よくこれを作ったなと思う。結句の「ここは東京」というのは、彼が作詞作曲した「Tokyoholic」という歌にもリンクするようにと考えてのこと。わたしはこの歌が本当に好きで、だからこそこの語を入れたのだと思う。
それに対して、「変わらないものなどないと知っているひと」。このとき何を思ってこうしたのか、今はもう思い出せない。でも、とにかく、その通りだった。亮ちゃんは、錦戸亮は、そういうひとだった。そんな彼が好きだった。


2019年夏、「十五祭」。
「十五祭」は、本当に楽しかった。周年のライブとして、関ジャニ∞として、素晴らしかったと思う。ただ、だからこそなのか、観ている間ずっと、わたしはどこか怖がっていた。今になって思えば、虫の知らせというか、おしまいの気配を、どこかで感じ取っていたのかもしれない。
9月3日、「十五祭」最後の公演をもって、錦戸亮関ジャニ∞を脱退。
その事実が知らされたのは、9月5日。FC会員向けの動画で、5人になった関ジャニ∞から話がされた。すべてはもう、済んだこととして。わたしに、ファンに、出来ることなんて何もなかった。
わたしが、関ジャニ∞錦戸亮を見たのは、9月1日、東京ドーム公演が最後になった。

正直に言う。
ばかやろうと思った。ふざけんなよ、とも思った。もういい加減にしてくれって、何でこんな思いを2回もしなくちゃいけないんだって、心底思った。
お知らせが出た日も、その次の日も、結局泣けなかった。戸惑いや怒りの方が強かったのかもしれない。数日経って友人と会い、好き勝手に話して、ばーかって、いい加減にしろって何回も言って、その後でようやっと、どうしようもなく泣けてきた。

すばるくんのときと違ったのは、もう全部、関ジャニ∞の中で話が済んでいて、ファンには事後報告だけがされた、という点だったと思う。そのことで、わたしの中の感情は、行き場を失くしてしまった。どうしたって決まったことは覆らない。そうはっきりと分かってしまった。
それに何より、脱退、という現象を2回も経験するのは、単純に辛かった。いい加減にしてくれ、というのは、本当に身勝手な意見でしかないが、正直そうとしか言えなかった。もうあんなことは勘弁だ、と思って、でもどうにか、新しいかたちも好きだと、受け入れられると思ったところに、もう一度同じことが起きた。あのときはもう、とにかく疲れ切っていたと思う。

そんな中でも日常は回る。脱退の知らせが出たのは9月5日、木曜日の夕方で、その後に世間一般やファンへ向けて、何かしら話さなければいけないタイミングが回ってくるのは、関ジャニ∞の中では丸山さんが一番早かった。基本的に毎日更新しているWEBの日記、当時MCを務めていた土曜日のサタデープラス。
仕事としてやらなければならないとはいえ、絶対につらい部分もあるだろうに、丸山さんは穏やかに、出来る限り伝えよう、話そう、寄り添おうとしてくれた。少なくともわたしにはそう感じられた。
限られた時間の中で、亮ちゃんひとりがどうこうというものではない、皆で話したことだ、グループとして決めたことだ、というように伝えてくれたことに、どれだけ気持ちを掬い上げてもらったかわからない。

また、7日には大倉さんが、当時パーソナリティを務めていたラジオ番組「オールナイトニッポンサタデースペシャル大倉くんと高橋くん」で、心境を綴った手紙を読んでくれた。これだって、別に、やらない選択肢もあったろう。何も語らないでいることだってできたはずだ。それでも、出来る限りのことをと考えて、言葉を届けてくれたことが、本当にうれしかった。
この手紙の中で、何だか泣きたくなったのは、ワイドショーとか記者の人とか、もう僕たち6人を追いかけないでください、といった部分だった。僕たち6人。6人なんだ、と思ったらたまらなかった。丸山さんのコメントもそうだったけれど、ほんとうに最後の最後まで、亮ちゃんも含めてなんだ、と。

台風が来ているきみを連れ去って遠くへ逃がすための台風
まっさらの顔をしていた不器用でどこまでだってまっすぐなひと
はしゃいでたことばかりいま思い出す いつも通りをくれたやさしさ
ほほえんでいたねふたりで向き合ってまばたきの度きらめくように
いとしいと口にせずとも知っていた ともに笑って肩を預けて
遠くまで照らす光を編み上げて届けたきみのうつくしいこと
結晶のまばゆさいつか消えたってここにあったと覚えているよ

これは9月8日に作ったアイドル短歌。そのとき本当に台風が来ていたので、1首目はこうしたかたちになっている。2~6首目は、亮ちゃんと他メンバー1人ずつとの印象。年齢順に、横山さん・村上さん・丸山さん・安田さん・大倉さん。7首目は、6人体制でのシングル「crystal」「ここに」とリンクするようにと思って作った。
すべてぐちゃぐちゃになったまま、考えはまとまらず、この先どうやって彼らを見ていったらいいのかも決められないまま。不格好でも、吐き出さずにはいられなかった。


疲れ切っていたのは、5人の関ジャニ∞もそうだったろう。それでも彼らは、同年11月から47都道府県ツアー「関ジャニ∞ 47都道府県ツアー UPDATE」を開始する。
とにかく心身への負担が大きいスケジュールであることは明らかだったし、そこまでしなくたって、と思った。それでも、彼らはきっと、走り続けなければならなかったのだと思う。立ち止まれなかったのだ。
そういった姿を見続けるのは、正直、結構辛かった。大変な状況にいるのは分かる、楽しいことばかりでないのは当然だ。応援したい気持ちはもちろんある。それでも、わたしはそのときもう、頑張り続けるひとたちに真正面から向き合うだけの気力を持てなくなっていた。
そうして、この時期からわたしは段々と、関ジャニ∞をリアルタイムで追うことを諦めていった。仕事や、他にもやるべきことがあって、あまり趣味に時間をかけられなかったのもある。でも、それは後付けの理由だ。結局わたしは、彼らを見つめ続けることが出来なくなったのだ。

47都道府県ツアーは、友人が4月の埼玉公演を当ててくれていた。
けれど結局、新型コロナウイルス感染拡大により、3月以降の公演はすべて中止となった。
このときのことで今もずっと覚えているのは、関ジャニ∞は基本的に「中止」という言葉を使わなかったことだ。途中で止まっている、とか、出来なくなった、というような言いかたをして、状況が許すようになったら続きをやるんだと、その意思があるのだと、ずっと示してくれていた。
そういうところがずっと好きだった。わたしの好きな、関ジャニ∞だった。

2020年からはコロナ禍にあり、ライブ等十分な活動が出来なかったのは、関ジャニ∞も他のグループと同じだった。とはいえ、出来る限りのことはしていたと思う。同年、シングル「Re:LIVE」なども発売されている。
わたしはこれまでずっと、シングルやアルバムの発売が決まると、喜んで予約をしてきた。すべて見て聴きたいと思えたので、内容の確認もほとんどせずに、全形態がセットになっているものを、そのまま注文する。何年もそうやってきた。
その習慣が重たく感じられたのは、2021年発売のシングル「キミトミタイセカイ」からだったかもしれない。曲は好きなものもあるが、特典映像を見るかと言われたらきっと見ない、と思った。さらに言うなら、2019年秋発売のシングル「友よ」以降、全形態を買ってはいたものの、特典映像についてはほとんど再生しないままになっていた。

売り上げは大事だ。応援する気持ちを示すのに、数字がすべてではないとはいえ、明確な指標にはなる。彼らを好きな気持ちは確かにある、頑張っている姿を見るとわたしも頑張らなければと思う。少しでも力になれるならなりたい。
それでも、観ないままになる特典映像を、そのまま積まれていくCDを、これ以上増やしたくないと思った。義務感だけで買って、そのうちに何で応援しているかもわからなくなって、どうしてこれを買ったんだろうと後悔するくらいなら、ちゃんと彼らを好きでいられるように、自分に無理がないように向き合いたいと思った。
とんでもない言い訳だし、自己保身でしかない。ファンじゃないと言われたって、弁明のしようもない。でももう、限界だったのだと思う。
ただ、2021年発売のアルバム「8BEAT」まで、結局わたしは全形態を予約した。曲自体は好きなので、ウォークマンへ取り込んで日々聴いてもいた。また、彼らが出演するテレビ番組や、他の露出をほぼ追えていないことも負い目になっていて、せめて少しでも数字に貢献しようという気持ちも、少なからずあったと思う。
映像作品は見なかった。見たくなかったのだと思う。5人の関ジャニ∞を見て、前のように楽しめるか分からなかった。それだけの余裕がなかった。

5人の関ジャニ∞を、嫌いになりたくないのに、どうしても違和感があって受け入れられなかった。向き合えなかった。きちんと考えたら、嫌いになってしまいそうで、蓋をした。
その、いちばん大きな出来事が、アルバム「8BEAT」発売時の宣伝文句だった。
関ジャニ∞でよかった」。
この言葉が、ずっと引っ掛かっていた。でも、なかなか表立ってはそう言えなかった。
関ジャニ∞のことは好きだ。7人のときに出会って、6人のときだって見てきて、5人になった今も、好きだ、と思う。このひとたちが頑張っているならわたしも、とずっと思ってきた。そうやって過ごしてきた。
でも、わたしが好きになった関ジャニ∞は、「関ジャニ∞でよかった」って、そんな言葉選びをするひとたちじゃなかった。そう思ってしまった。
関ジャニ∞でよかった」という言葉には、「関ジャニ∞ではない」存在と、関ジャニ∞を比較するような雰囲気がある。関ジャニ∞ではないひと。関ジャニ∞だったひと。関ジャニ∞ではないものとして、今もなお、きらきらと輝いているひと。

関ジャニ∞がきっかけで出会った友人がいる。2013年に初めて会って、それからずっと、たくさんのことを話してきた。関ジャニ∞のことも、それ以外のことも。
彼女は、関ジャニ∞を脱退した後も、亮ちゃんのライブには足を運んでいた。また、幅広くアイドルやそれ以外の舞台やコンサートに足を運び、様々なものに触れている。彼女はV6や嵐といった他のグループについてもライブを観に行っていたから、自然とその話も出た。
2019年9月、5人体制となりながらも、グループ活動は継続した関ジャニ∞
2020年12月、グループ活動を休止した嵐。
2021年11月、グループを解散したV6。
もちろん、この3グループについて、比べる気はまったくない。誰が正しい、間違っているということもない。そんなこと言おうとも思わない。それでも、アイドルというものを、グループという存在を考えるときに、この3グループのことは、どうしたって浮かんできた。出来る限り続けること。なくなりはしないと伝えること。自らの手できちんと終わりを迎えること。
関ジャニ∞でよかった」に感じる違和感について彼女と話しながら、好きだったことを恥じたくない、というようなことを、わたしは言った。
関ジャニ∞が好きで、彼らをずっと見ていたいと願った日のこと。2012年からずっと、そうやって過ごしてきたこと。7人でも、6人でも、5人でも。関ジャニ∞が好きだと思ってきたことを、悔いたくなかった。何であんなに好きだったんだろう、なんて思いたくなかった。

2021年11月、ライブツアー「KANJANI'S Re:LIVE 8BEAT」横浜アリーナ公演。
コロナ禍で、様々なライブが中止となり、ようやく開催できた公演だった。それでも声出しは禁止、フェイスシールドの着用推奨などもあり、今までのライブとはまた違った雰囲気だった。
どことなく落ち着かない気持ちで、わたしは友人と一緒にその場に立っていた。5人になった彼らの姿を、初めて生で見る。
そのときのことをTwitter及び伏せったーに残していた。そのまま引用する。

はじめ見始めたときは だいじょうぶ、思ったより平気だ、と感じていたのに RAGEを聴いているうちに何かが決壊したのかぼろぼろ泣いてしまった あと 勝手に仕上がれと象はほんとに、どうしたって気持ちがたかぶる
勝手に仕上がれの「終わんないでTonight」も象の「10年後またここで会おうよ」も かつてこの曲を彼らが歌っていたときと今って、ほんとに何もかも違って、それこそあのときに思った10年後は絶対こうじゃなかっただろう
そしてそれは今も同じで 今思う10年後が、そのまま10年後にきちんとあるかなんて、もう誰にもわからない けど彼らはこの曲を歌うし わたしは何年か前に聴いたのと同じようにまたこの曲を聴いて、終わんないでと思うし、10年後のことを願ってしまう どうしようもなく

はじめに「象」を聴いたときとは、いろいろなことが変わってしまった。いなくなったひとたち、前までとは違う歌割り。記憶の中にある歌や声とは違う、違うのはわかるのに、でも、今目の前にある人たちを、この関ジャニ∞を、やっぱり嫌いにはなれないのだ。
変わらないものなんてないって、そんなこととっくに知っている。
関ジャニ∞というグループを保ち続けるのに、彼らはどれだけの努力をしただろう。これから先もしていくんだろう。そうと分かっていて、それでもわたしは、終わらないでと思う。ずっと続いていてと願ってしまう。


2022年夏、シングル「喝采」発売。それに先立ってMVが公開された。
この頃にはもう、わたしは関ジャニ∞をきちんと追っていなかった。それでも、このMVを見た瞬間、歌を聴いた瞬間に、やっぱり関ジャニ∞が好きだ、バンドをやっている、歌を届けようとする彼らが好きなんだと、強く思った。
ただもう、「喝采」について、全形態の予約はしなかった。
曲を聴いて、MVを見て、納得して、初回限定盤だけを買った。

7月、「KANJANI∞ STADIUM LIVE 18祭」日産スタジアム公演。周年のお祭りらしく、最初から最後まで楽しかった。関ジャニ∞には夏が似合う。からっとして、明るくて、でもどこかさみしい、そんな夏だ。

がむしゃらに走る僕ら 滑稽に見えるかい?
 ― 関ジャニ∞「CIRCLE」

無責任ヒーロー、あおっぱな、がむしゃら行進曲……アップテンポの、いわゆる「関ジャニ∞」らしい曲が続いた後、ふと「CIRCLE」を耳にしたら、びっくりするくらい泣けてきた。自分でも、何で泣いているのかわからないまま、ただ、涙が流れるままに、わたしは目の前の彼らを見つめていた。

呼ぶ声がここにないだけやわらかくなった手指をきみは知らない
手放しで泣いたあの日のさよならを忘れちゃえればよかった夏の
こんなのはぼくの勝手でだけどまだ終わんないでと願わせててよ
 ― 関ジャニ∞ 18祭にあてて

「感傷も感傷だと思うけど、やっぱりずっと体のなかでどっか未消化なものがあって、ちょっと力が加わると溢れ出してくるなって思って 不揃いでも吐き出しておきたかった」。
これは上記の短歌をTwitterに載せた後のツイート。今見ても、そうだったんだろう、と思う。何かを見たとき、感じたときに、それを短歌やツイートといった形で残すことが、必ずしもいいとは限らない。自分の中にだけ大事に留めておくという選択肢もあるだろう。
それでもわたしにとっては、その時々に感じたことを吐き出すことは、短歌や何らかのかたちに変えることが、本当に必要だった。そうする手段を持っていることで、少しでも何か、救いになってきた部分がある。振り返ってみて、つくづくそう思う。


2022年冬、「関ジャニ∞ ドームLIVE 18祭」。
正直なところ、夏のスタジアムライブが楽しすぎて、同じ「18祭」、どうするんだろう……と思ってはいた。が、行ってみたら結局、相当楽しかった。
コロナ禍、ライブが中止になったり、公演が再開されても声出しが出来なかったりという制限がついていたが、この公演は完全に声出しOK。コロナ前と同じように行えるライブということで、その高揚感もかなりあったとは思う。

わたしは、2022年12月のナゴヤドーム公演と、2023年1月の東京ドーム公演に行っていた。コロナ前は、何度も友人と遠征をした。久しぶりでうれしく、懐かしかった。そのため、名古屋公演は、リラックスして楽しめたし、穏やかな気持ちで観ていられた。
ただ、年明けの東京ドーム公演は、それとは少し違っていた。
東京ドームに来るのは、ここで、関ジャニ∞の姿を見るのは、2019年の十五祭、東京公演以来なんだ、とライブ中にふっと思い出してしまったら、もうだめだった。名古屋ではそんなこともなかったのに、やたらと泣けた。
18祭のバンドパートでは、「宇宙に行ったライオン」「応答セヨ」「ここにしかない景色」と曲が続いていった。

君が思うほどは まっすぐに歩いてこれなかったけど いつかまた逢えたら
 ― 関ジャニ∞「応答セヨ」

僕らは偶然の中で出会って
同じ時を共に生きている
 ― 関ジャニ∞「ここにしかない景色」

彼らの、7人の関ジャニ∞、6人の関ジャニ∞と、今ここにいる5人の関ジャニ∞の話だと思えて仕方なかった。そもそもは、彼らとファンの話という想定かな、とは思うけれど。
でも、十五祭が彼らにとっては前回のドーム公演の場で、かつ東京ドームは亮ちゃんが脱退前最後に立った場所で、と思うと、どうしたって7人のときの、6人のときのこと、彼らの過去と今とを思ってしまって苦しかった。
少しのことで揺らぐたびに、やっぱりあのときの、2019年9月のことは、わたしの中で大きくて、生傷のようにそこにずっとあるのだと思い知る。それでも本当に、あそこの曲の流れも演出も、大好きだった。そう思った。


2023年夏。シングル「オオカミと彗星」発売。
関ジャニ∞の公式Twitterにて、カップリング曲「生きてる僕ら」の音源が公開された。ASIAN KUNG-FU GENERATION後藤正文氏による楽曲提供。元々アジカンの音楽は好きで聴いていたため、単純にうれしかったし、どんな曲なのか興味はあった。
何の気なしに聴き始めてすぐ、好きだ、と思った。耳なじみのあるアジカンの音楽に、関ジャニ∞の声が乗っていた。そして何より、その歌詞。

夢の中で
僕らは生きて
我に返っていつかは
さよならを知らなきゃいけない
その日が来るまでここで歌うから
辛いときには僕らを呼んでよ
(略)
綺麗さっぱり忘れてしまっても
僕らは君の何処かで光るから
 ― 関ジャニ∞「生きてる僕ら」

これは、関ジャニ∞の、アイドルのことを歌ったものだ、と思った。そして、彼らを見ているファンの、わたしのことだ、とも思った。
「生きてる僕ら」は、わたしがアイドルであるとか、好きなひとたちに対して向ける感情にとても近いところを撫でていく。ずっと変わらないでいるものなんてない、どれだけ何かを救いのように思ったって、結局は自分できちんと歩いていくほかない。そういったことを、わたしはもう知ってしまったのだけれど、それでもやっぱり、彼らは、アイドルは、わたしにとって光であったし、どうしようもなく辛いとき、名前を呼ぶ相手であったのだ。

Twitterにあがった短い動画を、繰り返し、繰り返し聴いて、それから、シングルを買わないと、と思った。「オオカミと彗星」はまだ発売前。今から注文すれば、発売日には手に入る。
アイドルのシングルやアルバムは大抵、販売形態が複数あり、カップリング曲含めすべてを網羅するためには、全形態を買わなければならない。もちろん特典映像などは異なっているし、観たい・聴きたいと思えば手に入れることも苦ではないのだが、ただ曲だけすべて聴きたい場合には、この複数形態での販売がかなり煩わしい。
前述の通り、わたしはもう関ジャニ∞のCD・DVD等について、全形態で買うことをしなくなっていた。そのため「オオカミと彗星」も、「生きてる僕ら」が収録されているものだけを買うことにした。
「オオカミと彗星」は、初回限定「夏」盤、初回限定「FES」盤、通常版の三形態があった。このうち「生きてる僕ら」が収録されているのは、「FES」盤と通常版。どちらを買うか、と考えたときに、わたしは通常版を選んだ。理由はふたつある。
ひとつめは、単純に収録曲が多いため。「FES」盤は3曲、通常版は4曲(オリジナル・カラオケを除く)。
ふたつめは、「FES」盤に収録される「BOY ’23」を聴く気が起きなかったためだった。

「BOY ’23」は、アルバム「8UPPERS」収録曲である「BOY」をリアレンジ、5人で再レコーディングしたもの。聴いたらどうしても、7人のときのことを、以前のことを思い出して辛くなってしまう気がして、わざわざ聴こうという気にはならなかった。
7人や6人だったときの楽曲をリアレンジ・再レコーディングすることについて、是非を言おうとは思わない。ただわたしが勝手に線を引いているだけだ。苦しい思いをするかもしれない、と思っているのに、あえて近付く必要もない。

その後わたしは、「オオカミと彗星」の通常版を購入。「生きてる僕ら」がとてもよかったことに嬉しくなり、それなら、と別のカップリング曲「大再生」も聴いてみようと考えた。「大再生」が収録されているのは「夏」盤なので、こちらを買い足した。
結果、「大再生」もとても好きな曲になったので、買ってよかったと思う。これは本題からそれるので深くは書かないが、「生きてる僕ら」とはまた違った側面から、アイドルというもの、そして5人になった関ジャニ∞の姿を歌っているようにも思える。

今日も大大大歓声
お茶の子さいさいさいさいです
どうしようもないって言われてからが
勝負だって火を灯してる
 ― 関ジャニ∞「大再生」

繰り返し、繰り返し、「生きてる僕ら」と「大再生」を聴いて夏を過ごした後。
9月、わたしは「KANJANI∞ 20FES 〜前夜祭〜」の生配信を観ていた。実は、夏前から少し調子を崩していたこともあり、観ること自体どうしようかと思っていた。しかし、配信があることを家族に話したところ、関ジャニ∞のライブに興味を示してくれたので、それなら、と一緒に観ることにしたのだ。
「KANJANI∞ 20FES 〜前夜祭〜」は、前半、バンドスタイルで進行。「ズッコケ男道」「無責任ヒーロー」、そして「生きてる僕ら」などが聴けてうれしかった。
あっ、と声が出たのは、「NOROSHI」の後。「Baby Baby」の歌い出しを耳にしたときだった。
「Baby Baby」も、「BOY」と同じアルバム「8UPPERS」収録曲。わたしにとっては、7人の関ジャニ∞を思い出してしまう曲だ。まさかこの曲をやるなんて、と思った。聴くのに身構えなかったといえば嘘になる。

Oh baby baby この部屋抜け出して
転がることさえ夢中なら明日に続いていくのさ
Oh I’m crazy crazy 裸足で駆け抜けて
間違うことさえ僕らには まだ見ぬ世界へのつばさ
 ― 関ジャニ∞「Baby Baby」

それでも、「Baby Baby」は、5人の関ジャニ∞が歌うこの曲は、やっぱりとてもよかった。
どこかずっと怖がって、目を背けて耳を塞いできたことに、わたしはようやく気が付いた。聴いたら、終わりになってしまうような気がして。好きだったもの、もう戻ってはこないもの。そんなものばかり欲しがっているんじゃないかって。

lalalalalalala...
終わりなんて無いって思ってた
終わりなんて無いって思ってた
終わるはず無いって思ってた
 ― 関ジャニ∞「BOY」

終わらないでって、10年後もまたここにいてって、そう願っていた。最高なこの瞬間は、彼らを目の前にするこの一瞬は、ずっと変わらずにあると思っていた。
今はもう、そうじゃないって分かっている。何もかもすべて、いつかは終わってしまう。変わらないものなんてない。失くしたものだっていっぱいあるし、これからだってきっとあるだろう。
それでも、生傷のように横たわる、いつまでもじくじくと痛むものが、ずっと消えなくても。ふとしたときに思い出してしまっても。全部がだめにはならないよって、今なら言える。本当に、すごく、辛かったけど。もうあんな思い、そうそうしたくはないけれど。

「KANJANI∞ 20FES 〜前夜祭〜」の配信が終わってすぐ、わたしは「オオカミと彗星」をもう一枚買い足した。初回限定「FES」盤。あのときは聴かなくていいと、聴きたくないと思った「BOY ‘23」を聴くためだ。
夏が終わって、わたしの手元には、「オオカミと彗星」全形態が揃った。
ただもう本当に、よかったと、素直に思えた。