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短歌と感想ほかまとめ

雑記:滝沢歌舞伎ZERO 2021(5/9配信)

  • 滝沢歌舞伎に限った話ではないけど 途絶えさせないでほしいと思った 長く続いていってほしいって
    だんだんと引き継がれて、姿を変えていくものであるかもしれないけど 舞台、芸術、人々によって表現されるものが 誰の手にも荒らされずに 長く残ることを祈る
  • 観られてうれしかったのはもちろんなのだけど それはそれとして、舞台はやっぱり生で観てこそのところもあるな、と思ったのはたぶん、その場、を感じにくいからかなあ
    舞台のあちこち見たいところがあるときに、生なら自分で取捨選択できるけど、配信は固定されてしまうから むずかしいよね…
  • あとたぶん カメラに映る部分だけしか情報が入ってこないから、居方といったらいいのか、たたずまい、がわかりにくくなる
    あの空間の、地続きのところに、同じ空気を吸っているところに、演者が立っていて、その動きや気配をほんとに肌で感じること というのがどれだけ貴重か 思い知らされる
  • 居方のはなし、深澤さんを見てるとよく思うけど 舞台に立つと、彼そのものの個の部分と、役柄であったり、その場で表現したいもの、の部分が入り混じって揺らいで見える
    けどどこにでも馴染んで、きちんとそこにいる その気配が本当にすきだなあと思う
  • WITH LOVEのこと
    あの最後の歌詞って、聴く側にとっても胸に迫るものがあるのだけれど 歌う側になったならさらにもっとだろうなあと思った
    それも配信、目の前に観客のいない状態で 届いているのかその場では確かめようのない、届いていると信じるほかないままでは
  • 映画はそもそもの成り立ちが違うというか 撮られることを、撮ったものを届けることを前提としているけど 今回の配信はそれとは別で、本当であれば目の前に人がいて、表情も見えて、というものが潰えたところから始まっているから その中でも最大限伝えようとして、どんなきもちであの歌詞を、と思うと
    観客のいない、がらんとした席を、それでもまっすぐに見つめて歌っていた、まなざし、よろこびもかなしみも入り混じったような表情を思い出すと ほんとに何よりこのひとたちが、目の前にいるひとの姿を少しでも多く見られるように、届いていると深く感じられますようにと思う
  • 深澤さんのことばかりになってしまうけど
    ほんとにずっと前を向いていたのが、目線が客席のほうに、遠くにあったのが見たかったろう景色と、見ていただろう景色は大きく違うはずだけど 焼きつけるみたいに見つめていたこと そのまなざしであるとか 姿勢を思い返している
    2D.2D.ラストのD.D.を歌っているときもそうだった 客席の、高く遠いところに目をやっていたなあとか あの表情が、目線が、ほんとうに好きだったな とか ぼんやり