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短歌と感想ほかまとめ

雑記:すすめ、すゝめ

アーティスト、アイドル、およそ人の前に立ち、その努力や才能や、人のもつ力というものを感じさせてくれるひと、に、幾度となく掬い上げられて、救われてきた。とはいえ、勝手に救われて、というか、救ってくれる対象に祭り上げているのでは、という感覚は絶えずある。それを絶対の悪とも言えはしないだろうけれど、あまり健全ではないな、と思うところはあるので。

そのひと、は、まず何より先に、同じ時代や社会に生きるひとで、その生きかたについてわたしが、他者が、どうこう言える対象ではなく、過剰な期待や希望や欲求を負わせてよいものでも、当然ない。

ただ、わたしはそう分かっていても、懲りずに彼らへ手を伸ばし、救いを求めてしまうし、ぜったい、のようなものを欲しがってしまう。変わらないであるもの。終わらないでいるもの。過ぎ去って、わたしを置き去りにしないもの。そんな都合のいい存在なんてあるはずもないのに。

神さまを持っておけば、たしかにお守りのようになって、自分の行く先を守って、照らしてもくれるのだろうけれど、たとえばその神さまがいなくなってしまったら、どうしたらいいんだろう。神さまがいないとだめで、自分の足で立つことも難しい、なんて、そんなことになりはしないか。

そのことを思うと、なんだかやけに体の感覚が遠くなる。どこまでも続く荒野に投げ出されて、さあ好きに歩けと言われたような気がしてくる。向かう先なんてあるはずもないのに。

それでもうずくまっていれば遅かれ早かれ砂に埋もれて死ぬだけだとわかっている。皮も肉もはげて骨だけになって、その骨だっていつかは崩れてしまう。体がどれだけ重くとも、行くべき場所がどこかもわからず、ただ両方の足を交互に動かすことしか出来なくても、ともかくここにいるだけでは何もならない。

光のさす方がどちらかはおそらくどこまで行ったってはっきりとはしない。少し明るさが見えたと思えば陰り、どうにもならない暗闇のなかを、延々と進んでいくだけの時間だって、変わらずにあるんだろう。

ただそれを、そうとしか生きられないことを、悔やみはしない。絶望もしない。どうしようもない現実は変わらずあって、いっそすべて夢であればいいと思うことも多いけれど、だからといって、放り投げはしない。

責任の所在を、自分が自分として進むだけの分別や度量を、みがいていくことを、すべて誰かに丸投げして、楽をしようとしていないか、と、考えることはひどく恐ろしい。認めたくもない、見たくもない現実はどれだけ目を塞いでもわたしの前に横たわっている。それでも、それでも、と思う。

いつか手を離すときは来る、変わらないものはない、失わないものはない、いずれ何もかもここを去り、記憶も印象も、たとえば今ここで喚き散らしていたことだって、そんなこともあったかな、と思うくらいに薄れていくのだろう。

それが今のわたしにはうっすらと恐ろしく、また、どうしようもなく寄る辺ない気持ちになるけれど、その感情もぜんぶ、なかった方が楽だったとは、思わないでいたい。

 


繰り返し、日食なつこ「音楽のすゝめ」を聴いていた、2021年3月10日のことと、そのとき考えていたことを、断片であったとしても覚えていたくて書き殴ったのが、これです。朝起きたら消したくなるんだろうな。まあそれはそれでいいとする。